いずむうびい

テキトーなブログ。

そこに怒りはあるか『怒り』

f:id:m-ism6021:20160920110956j:image

f:id:m-ism6021:20160920111007j:image

 

東京・優馬のテーマは「哀しみ」だ.憶測になるが彼はきっと母の死を心の底から哀しむことができていなかった.どう受け止めていいのか,どう振る舞うべきなのか.分からなくて気持ちが落ち込んだ日には早くこんな日々が終わらないかななんて考えてしまっていた.相手に対して自分の想いを寄せ切ることができない男なのだ.だから直人に側にいる代役を頼むし,直人のことも信じ切ることができない.「楽しいフリをしているのが楽しい」と冒頭で言っていたが哀しいフリをするのはさぞ悲しいことだったろう.そんな自分へ向けるのが彼の「哀しき怒り」だ.涙を流しながらそれを表現してくれる妻夫木聡に胸打たれた.

 

千葉・槙親子のテーマは「不幸」だ.自分たちは人とは違う人間だから幸福になることはない.もし幸福を感じたとしてもそれはのちに訪れる不幸の跳ねっ返りでしかない.もっといえば,自分たちのような人間は幸福になるべきではないとさえ思っている.相手のことは全て受け入れたから大丈夫と念じるように思っても結局は自分の幸福を信じ切ることができずに疑ってしまう.しかし,同じ不幸を抱えた者とならばもしかしたらやり直せるかもしれない.救いの機会は訪れる.これまでは幸福になることはない.幸福になどなってはいけない.幸福になってしまってはこれまでの不幸に説明がつかないと希望を見て見ぬフリをしてきた.しかしそれはもうやめる.これまでの自身の幸福への「不都合な怒り」をスクリーンのこちら側へ向ける宮崎あおいの表情に打ちひしがれた.

 

沖縄の物語は純潔なる人の子として泉と辰哉による世界と自分への悔しさを源とした実に真っ当な「怒り」だ.2人に対して田中の「怒り」も描かれるのだが,彼の怒りは屈折しているようでいたってシンプルなものだ.「バカにしやがって!」という独り善がりでどうしようもなく幼稚な怒り.そしてそれらは交わることなく物語は終わる.血文字の「怒り」は当人から語られることなくぽっかりとした空洞のまま幕を下ろす.

 

見終えて思ったのが,さまざまな「怒り」を描くこの哀しくて不幸でやり場のない悔しさと痛みの物語を経て「ボク自身に怒りはあるか?」ということだった.2時間強とはいえ苦楽を共にしたといえるほど感情を揺さぶられておきながら,彼ら彼女たちの幸せを切に願い,決してそうなることはない現実への対抗として怒りを感じるのか?ということだった.残念ながら,そこまでは思えなかった.思うことができなかった.映画の中の登場人物に対して,今までほんとうに考えたことがなかったのかもしれない.彼らがどんなに必死に生を全うしようと観客目線で俯瞰してパズルのピースのように見ていたかもしれない.この映画の役者陣の演技を見ていたら,何だかこれまで見てきた映画たちに申し訳ない気持ちになった.これまで,映画の中の「演技」にこれほど心を奪われたことはなかった.他の映画がどうということではなく,この映画はほんとうに生き物のようだと思った.いくら泣いたって怒ったって誰も分かってくれないじゃん!−−−−思い出す泉の叫びに胸を貫かれた.

 

いやはや,今年の日本映画はほんとうに面白い.『シン・ゴジラ』のベストは揺るがないだろうが年間ベストがほとんど邦画で埋まってしまうことは確実だ.アニメーションでも『君の名は。』がジブリ以外のアニメで初の100億円突破間近という作品の好き嫌い関係なく喜ばしいニュースがある.新しい時代,新しい映画の始まりを予感している.変わらないものは変わらないだろうけど変わるものは変わるのだ.そんなことを思う2016年秋のはじまり.