いずむうびい

テキトーなブログ。

ボーン・ステートメント『ジェイソン・ボーン』

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ざっくりボーンシリーズに感じている魅力を言うと「主従関係」という言葉に尽きる.ジェイソン・ボーンはCIAのある計画によって生まれた存在だ.その事実を突き止めたい真相を確認したいのがボーン側でそれを隠し通したい揉み消したいのがCIA側という対立構造を前提に「追う/追われる」という主従関係が成り立っているのだが,画面を見続けているとそれがいつの間にか入れ替わっているのが面白い.

 

いつの間にかボーンが「追わせている」ような展開になり,ボーンに「見られている」ことにCIA側と共に気付く.終わってみればボーンに「追いつめられている」のが常でボーンシリーズの巧みさだった.通常のアクション映画のように主人公に肩入れして気持ち良く応援するような感覚にはあまりならないサスペンスとの融合が見事なシリーズだった.

 

そんな3作を経て,今回新章としてスタートしたジェイソン・ボーンなわけだが,映画としての「質」や「趣」といったものはまるで違うものになっていた.今回のジェイソン・ボーンは弱い!弱くなった!なぜ弱くなったのか?それは明白だ.

 

前3作までは「記憶」を取り戻そうとしていたから自分の潜在能力や行動原理といったものが自分にも分かってはいなかった.限界など知らなかったのだ.身体に染み付いた「本能」のみで追っ手をやっつけるさまにジェイソン・ボーンのマシーン性があった.

 

しかし,今回は記憶に若干の肉付けはあるものの取り戻したいと切望していた部分は獲得済みで自分がどういう人間なのかは理解してそののち数年間は自分の力を食うために使っていたというのだ.ストリートファイトで銭を稼ぐ姿からは前3作のマシーン性は消え去り,代わりに残ったのは微かな人間性だ.ボーンは普通の人間になりつつあった.だから弱くなっているのだ.

 

そんな彼が普通への逃避行をやめて再び奮起していくさまが面白くないわけがない!『ボーン・アイデンティティー』(2002)で得た生活も『ボーン・スプレマシー』(2004)では砕け散り,『ボーン・アルティメイタム』(2007)にも救いはなかったのだ.過去の記憶,自分自身の中にある自分自身にも分からないものに拘るのはもうヤメにしよう,これからのジェイソン・ボーンはどう生きていこう,いまさらになるがジェイソン・ボーンの「ボーン」には「誕生」のダブルミーニングもあるだろうから1作目から14年の時を経てもう一度時計の針を進めよてみようという志がこの映画にはある.そんなものがつまらないわけながなかった!

 

分かりやすく目に優しいアクションの見応えには陰りがあるものの,ボーンに対して新たな解釈,違った印象を持つ者が現れる世界にはしっかりと「ボーンシリーズ」の核である「変わり続けるジェイソン・ボーン」があった.「考えておく」の一言がシビれるのはボーンはもう全てを受け入れてボーンとして生きていくけれどもあなた方の動向は都度確認させてもらうし裏にある思惑には一切付き合う気はないよという宣言をシンプルに伝えているからだ.出世意欲の強いアリシア・ヴィキャンデルが積み上げた「信頼」なんてもんが一発で崩れ去っていく爽快感.この映画は1本分の時間をかけて「考えておく」というボーンの保留をもってして幕を閉じる.なんて格好いいんだろう.何年先なのか分からないがジェイソン・ボーンシリーズ大歓迎.何作でも心待ちにしようと思う.おわり