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いずむうびい

テキトーなブログ。

会いに行けるバケモン『貞子vs伽耶子』

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「会いに行けるアイドル」に需要があるのは,アイドルとは本来会うことができない存在だからだ.会えないからこそ会いたいと潜在的/顕在的に強く求める層がおり,そんなアナタのお悩み解決しますと手招きした結果だ.では,それまで会うことのできなかった存在に会うということはいったいどういうことなのか?果たしてそれが何だというのか?言葉にするならば「偶像が偶像でなくなる瞬間」と思う.


『貞子vs伽耶子』感想

この映画は「変化」の描写が多い.

役所の人が訪問すると「幻影」を見たのちに遺体を「発見」するし,山本美月佐津川愛美の二人は大学の授業でスクリーンに映し出される貞子の情報をしっかりと見ていない.しかしその後2人は大学のスクリーンでは見なかった情報である呪いのビデオを目撃してしまう.反転の変化だ.

いじめられっ子の少年は外では典型的ないじめられっ子だったのが呪いの家に入ったとたん反撃に転ずるのも反転の変化.反転は顕在的なものだが,玉城ティナにしてみれば,引っ越しについて親に「嘘だよ」という嘘をつくのは変化を包み隠す潜在的な変化だ.そうやってこの映画は周到に「変化」を語っている.

貞子と伽耶子は,これまで人間に負けたことがない.呪いの家に入った者を殺す.ビデオを見た者は殺す.一度もしくじったことがない.そんな彼女たちにも感情があるとしたなら,こんなことを考えるのではないだろうか.

「自分はいったい何なのか?」

目的もなければ目標もない.なぜこんなことをしているのかなど忘れてしまった.原理としてただただ自分の憎しみや呪詛に正直にいるだけ.古びた屋敷・古ぼけたビデオの中で何年も漂っている.そんなことを続けていたら疑問のひとつやふたつも生まれよう.はたと気付いて頭をもたげる疑問は,きっとこれだ.

「自分以外にもいるかもしれない」

自分が何なのかはわからないが自分と同じように苦しみ人を呪い続けている比較対象が存在するかもしれない.そう期待することも元人間ならばあると思うのだ.仮にそうだとしたら,次はこう思うだろう.

「そいつに会ってみたい」

森繁先生の想いを頭突きで打ち砕き「この人すごい無駄死にだねー」(※2016年ベストセリフ賞受賞)のお祓いの場面を反転させ,この映画はその願いを叶え,見事ふたつの呪いを邂逅させてしまう.

終盤の描写にもまた変化が用いられている.「よろしくね」と握手をする山本美月×玉城ティナの関係を反転させると貞子×伽耶子のぶつかり合いになる.いっぽうが犠牲になることを選び二手に分かれる行動を反転させれば貞子×伽耶子の二人がなんと……

偶像だった貞子と伽耶子が本来会うはずのなかった相手と対峙することで,とんでもない変化が生みだされる.神様仏様白石様.こんなものを見せてくれて本当にありがとう.期待の斜め上をいく最高の映画でありました.
俊雄くんにもいつか良き相手がきっとくる〜