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いずむうびい

テキトーなブログ。

恐怖のコントラストとコントラクト『残穢−住んではいけない部屋−』

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めっちゃ面白かった!ことしは邦画をより楽しむために映画化が決まっている小説を何冊か読んでいて,この映画が読了済み鑑賞の第一弾だったんですが,早くも首位登場かといった感じです.個人的観測ではまちがいなく中村義洋監督の最高傑作.原作もかなり面白いが映画は期待していた通り視覚聴覚の刺激が心地よい.ほんとうに最高でした.以下,ネタバレ.

映画を見ているときに「怖い」とか「不気味」とか思うには登場人物の視点を通すのが正攻法だ.登場人物が身を凍らせたり逃げまどう姿を見て観客は恐怖する.逆をいえば,登場人物が怖がったり気味悪く思ったりしてくれないと見ているこちらも怯えることは少ない.

この映画が面白いのは,そういった登場人物の視点を「感じているのか?気付いているのか?」という興味関心に置き換えているところだ.

箒の音を帯だと気付く者,ブランコを見る子どもと見えない大人,赤ん坊の泣き声を聞く者と聞かない者.登場人物のコントラストでもって観客を引き込んでいくのがとてつもなく上手い.また,話を真剣にする者とそうでない者,十人十色の識別センサーとして見る「私」と「仮に久保さん」の反応も最高に面白い.独特の雰囲気で力を抜きながら時たまピリッと不快感を浮かべる過去最高の竹内結子.爪を噛む橋本愛は当然のように可愛い!

さらに素晴らしいのは,起きる不可解な事象のことを「穢れ」と定義しているところだ(便宜上,呪いや祟りと言われてはいるが).あらゆる事象を探るうえで定義は大切だ.相手が何なのかわからなければどうしようもない.仮に呪いとするなら癒しが対抗になるかもしれないし,祟りであれば謎や歴史を紐解くことで納得のいく話がわかるかもしれない.理不尽に対して理詰めで迫っていくのがこの物語の楽しさだ.

では,定義を「穢れ」としたうえで,いったいどうすればいいのか?そこから導かれる解がまた面白い.穢れは触れたら最後.もうどうしようもないのだ.穢れは無差別に立ち現れ,穢れは規則正しく存在し続ける.震源地は変わらないのだろうがいわゆる残留思念のように場所や人にこだわることがない.ラストで後出しジャンケンのようにいわれる「話しても聞いても〜」のルールの最凶たるやただごとではない.

タイトルにされている「残穢」という言葉を登場人物が口にしないことでその印象を観客が持ち帰ることになるのも素晴らしい.この登場人物たちに触れてしまったことこの映画を見てしまったことが「残穢」となって自分に付着したような感覚をおぼえる.吹き付ける風やちょっとした物音にまんまと過敏になってしまった.そういった事象の構築と物語の構造が素晴らしくお上手で本当に楽しかった.その意味では「仮に久保さん」が建築関係の学生さんで「私」が作家っていう設定も魅力的だ.ハイ.一月からこんなに楽しくて大丈夫なのかと不安になるくらいの最高の一本でした!